NAOの気まぐれ独り言

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自我が強い人が急増中




我慢はしない。


妥協もしない。


相手が誰であれ、私は自分が正しいと思うことを言う。


自分が信じる道が正しい道。


自分のやりたいことをやるだけ。


それが私。




、、、というような自我の強い人たちが巷には急増中ですが、この流れを僕は怖いと感じています。(^^;


また彼らに憧れたり、彼らをカッコいいと思う人がいることも怖いと感じます。


「強さ」をはき違えるとそうなるのでしょうが、現世を(物質的に)楽に生きる上では自我が強いほうがいいのかもしれません。


自分のことを第一に考え、自分の考えに間違いはないと信じ切ることで迷わず(=ブレない)、ひたすら我が道を突き進むことができるからです。


自我が強いと人よりも物質を多く得たり、願望成就をしやすくなりますから、自我が強い人のほうが現世的な幸せ、物質的価値観における幸せ(成功、お金、人脈、評価)を得やすいといえます。


けれども、魂は永遠であり、自分の想い・言葉・行動の全ては「カルマの法則」によって自分に返ってきますから、狭い範囲(現世だけの視点)で見れば自我の強いほうが得ではあっても、広い範囲(魂の視点)で見れば得とはいえないのです。


それに物質をより多く得ることが本当に幸せかどうかは疑問なところです。




霊的真理の「波長の法則」が働きますから、自我の強い人の周りには自我の強い人が集まります。


自我の強さは小我(利己愛)の強さと比例しますから、周囲に集まるのは小我の強い人です。


だから、自我が強い人は物質は得ても、愛は得にくいといえるのです。
(これも「カルマの法則」です。)


実際、僕は自我の強い人で愛に満たされている人を見たことがありません。


自我の強い人は恋人がいたり、結婚をして幸せそうに見えたとしても心の奥底では愛に飢えています。


しかし、自我が強い人は多趣味であったり忙しくしていることが多いので、本人が自分の抱えている寂しさに気づきづらく、また仮に気づいたとしても「なりたい自分」や「周囲から見られる自分」が確立しているために寂しさを素直に認めることも、他人にさらけ出すこともできません。


だから、自我の強い人はいつまでも寂しさが埋まらず、その反動で更に自我を強くするのです。


自分は正しい!!


自分は幸せ!!


自分は勝ち組!!


自分は大丈夫!!


自分は強い!!


自我が強い人はそう信じ切ることで自分を保つわけですが、自分を肯定すると更に自我は強まります。


そうなると周囲の人間がいくら助言や指摘をしても無駄ですし、本人が自分の中にある寂しさに気づくこともなくなります。


けれども、心の奥底に寂しさがあるので自我が強い人の心は満たされず、これまでの自分を正当化するために、自分より(物質的に)劣る人を見ると見下したり、批判したり、哀れむのです。




正直なところ、僕には自我の強い人は心の弱さと向き合えていないように感じます。


意外だと思うかもしれませんが、彼らは本当は弱く、そしてコンプレックスが強いのです。


だからこそ、自我を強くして自分を守っているともいえます。


本当に幸せな人(心が愛に満ちている人)は柔軟かつ謙虚です。


そして、自分と同じように他者を尊重できます。


間違っても「自分は自分!」と鼻息を荒くしたり、自分より(物質的に)劣る人を見下したり、批判したり、哀れむことはしないのです。


人は愛に満たされないと必ず誤作動を起こしますが、僕が自我の強い人たちが急増中であることを怖いと思う理由は「そこ」なのです。


皆さんは大丈夫でしょうか?


自我が強くなっていませんか?


ちゃんと人の話を聞く耳がありますか?


傲慢になっていませんか?


愛に満たされていますか?


自我が強くなっている時ほど、実は愛に飢えているということに気づいていただきたいと思います。




P.S.幸せな人は意地悪をしないし、幸せな人は自分と他者を比較しない、とこれまでブログで伝えてきましたが、幸せな人は頑固にならない(柔軟で謙虚)ということも言えるでしょうね。(^^;




Good night☆



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